泣くも笑うも:育児系雑記ブログ

ずぼら管理栄養士。子育て奮闘中の主婦のブログ。

父はしあわせだったのか。大腸癌だった父の話。




こんにちは、味醂です。

タイトルで察していただいたかと思いますが明るい話ではありません。

苦手な方はスルーでお願いします。

私の父は癌でした

ある日、帰宅するとソファで佇む父がいました。

「おかえり」

ただいま

「ちょっといいか?」

うん?




「癌がみつかったんだ」



「大腸癌なんだって」



そうなんだ…手術するの?


「今度検査入院する。そのあと手術になると思う」

手術で切りとれるの?

「わからない」

そっか、そうなんだ…

父の病気

私は大学で臨床に関わるものを学んでいたのである程度の予想はつきました。

医者ではないので私がそれを口にすることではないし、担当医に任せるべきだと思うので言いませんでした。

あとで母に聞いたのですが、父はこのとき精神安定剤を処方されていたようです。

父に見つかった癌は大腸の中でも直腸という部分。これは肛門の手前。

これを切り取るということは普通に排便することができなくなるということです。

お尻の穴を塞ぎ、お腹に穴を開けてそこに袋を取り付けることになります。ストーマ(人工肛門)です。

参考▶︎ストーマ(人工肛門)について|WOC支援室|がん研有明病院


父は障害者手帳を手にしました。

服を着ていれば父が障害者かどうかなんてわかりません。

お腹から袋をぶら下げ、そこに便をためているのです。

定期的に交換しなければいけません。

漏れて服が汚れたり臭うこともありました。

おならだって我慢することはできず、突如音がなったりします。


また、抗がん剤治療をした後はとくに体調がわるく動くのもやっとでした。

一度はそれで落ち着いたと思われた癌もいつの間にか再発し、転移していたりするのです。

癌の痛みや苦しみは並大抵のものではないでしょう。

その人にしかわからないつらさがあると思います。私にもわかりません。

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父は電車で通勤していました

できるだけ満員電車は乗りたくない、と朝早い電車で出勤していました。

帰りはできるだけ早く家に帰って休みたい、と定時で仕事を切り上げ満員電車に乗って帰ってきていました。


父は言いませんでしたが、もしかしたら電車等でつらい経験をしたことがあったのかもしれません。


優先席に座っていた人を蹴り飛ばすなどといった情報を見かけることがありますが本当にやめてください。

なぜ蹴り飛ばした人が暴行罪に問われないのか。

なぜ暴言を吐いた人が侮辱罪に問われないのか。

なぜ被害者のほうがつらい思いをして我慢しなればいけないのか。



優先席を必要とする人は見た目でわかる人だけではないのです。


ただ、本当に健康なのに優先席に座ってしまったのなら積極的に席を譲ってあげてください。

ヘルプマーク

私自身、ヘルプマークという存在を知ったのは数年前です。

父も知らなかったと思います。


義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。

ヘルプマーク 東京都福祉保健局

必要な人は地下鉄の駅などで受け取ることができます。

父の仕事

父は入退院を繰り返しながら、仕事を3年ほど続けていました。

理解のある会社で助かりました。

退職したあとは自宅と病院を行き来しながら闘病しました。

癌は身体中を蝕んでいきました。

私ができた親孝行

父の病気のこともあり、私は結婚を急ぎました。

運よく入籍後すぐに妊娠しました。


私ができたことは父と一緒にバージンロードを歩くこと。

そして、孫の顔を見せることでした。



父は私が大人になることが想像できなかったと言います。

そんな私が父と腕を組んでバージンロードを歩きました。

父は照れくさそうでした。



その後、どんどんと体力も食欲も落ちていく父。


私が出産したときは体調が悪いにもかかわらず何度も産院に足を運んでくれました。

「かわいい、かわいい」と孫の顔を見る父の姿はとても弱々しかった気がします。

私の病室のソファーで父は寝ていました。

それほど体力がなくなっていたのです。


退院後、私は娘とともに実家に帰っていました。


痛みでなかなか寝付けない父は「よく寝る子だなあ」と娘を眺めていました。

「俺より髪の毛あるなぁ」と抗がん剤で髪が抜けてしまった自分の頭と見比べていました。


そして私と娘の里帰りが終わるよりも前に、父は入院しました。

私が自宅に戻ってから

里帰りの最終日、父のお見舞いに行きました。

「子育てがんばれよ!元気でな!」

それが父と交わした最後の会話です。

このとき父はすでに自力で歩くことができませんでした。


その3日後、母から連絡がありました。

「お父さんが錯乱状態になってる。もう喋れないと思う。そろそろ覚悟しておいて」


つい数日前は普通に会話ができる状態だったのに。

病魔は急激に襲いかかってきます。



お見舞いに行き、病室で喋っていると父も会話に参加するかのように声を発しますが聞きとれません。



錯乱状態になってから10日後、父は息を引き取りました。

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大腸(直腸)から始まった癌は肝臓や骨などに転移。

死ぬ間際はきっと全身が癌に侵されていたことでしょう。

癌が見つかる前の父は臓器提供の意思を示していましたが、その願いは叶いませんでした。

まだ死ぬわけにはいかない

父は以前、自殺願望がありました。

父が病気になったときに(本当に父は自ら命を絶つかもしれない)と思いました。

父がひとりで出かけるときには(どうか生きて帰ってきますように)と願いました。


錯乱状態になる直前、父は担当医に「まだ死ぬわけにはいかない、助けてほしい」と言ったそうです。

父も自分の命が短いことを察知してしたのでしょう。



死にたいと言っていた父も、最期は死にたくなかったようです。



父がまだ死にたくないと思った理由が何だったのか…

父のやり残したことは何だったのか…



それは本人にしかわかりません。

おわりに

父はしあわせだったのか。

私たちがくよくよしていてはいつまでたっても父は安心できないと思います。

私たちにできることは毎日笑って過ごすこと。



父はきっと孫の成長を楽しみにしていたと思います。

私の使命は娘を一人前に育てること。

そして母に寄り添うこと。



私たち家族が笑顔でいられるように。

いまを大切に生きていけるように。



お盆期間は都合がつかず実家に行けなかったので、また後日手を合わせにいきたいと思います。


それでは、また。